玄界灘の水平線が橙色の空に溶け始め、潮騒は音もなく時を刻んでいた。

その頃には、タンゴ界における“エレガンスと旋律美の象徴”、カルロス・ディ・サルリ(Carlos Di Sarli)を聴きながら、私たちはスパゲッティ・アラビアータをいただくことになる。

カルロス・ディ・サルリの音楽は、明快で調和を重視する気品あるスタイル。
まさに今日の主役のようだ。

ポスターが誘うところ

「私いつも化粧っ気がないので、真っ黒に写ると思います(笑)」。

福岡県糸島市在住の安部ひとみさんは、Ritzwellの家具を愛用するオーナー様であると同時に、実はRitzwellブランドを共に育んでくれたパートナーでもある。

始まりは2000年。
主婦の傍らインテリアコーディネーターの仕事を少しずつ始めていた安部さんは、打ち合わせで訪れた工務店でとあるポスターを目にする。

それはデンマーク家具の輸入とライセンス生産を行うKitaniの、名作家具コレクションを一堂に展示するイベント『 Danish Furniture Fair(デニッシュ・ファニチャー・フェア)』のポスター。会場は板付にあるRitzwellの福岡ショールームとあった。

画家・野見山暁治もアトリエから眺め絵にした姫島を望む

「おしゃれなポスターで、会場のRitzwellってどんなところ?って。それで伺ったのが最初です。福岡の板付で、こんな名作が一堂に見られるなんてとすごい!と思いながら3日間通ったんです。そしたら2日目ぐらいに、“お手をふれないでください”って札が掲げられている椅子を、1つずつ全部床に下ろして、“椅子は座らんと分からんから、ぜひ座りなさい”って言ってくれた、ちっちゃいおじちゃんがいたんです(笑)」。

それがRitzwellの創業者、宮本会長(当時社長)との出会いだった。そして思ってもみなかった方向に安部さんは引き寄せられていく。

「インテリアコーディネーターの資格は持っていたんですけど、色々ありまして、その頃、主人が10年来癌を患っていて末期だったんです。背中にコブのような腫瘍がある主人でも楽に座れる椅子はないだろうかと探していて、そこでハンスウェグナーのラウンジチェアに出会ったんです。でもなかなか手が出ないなぁと考えながら、そのイベントに通っていたんです。それで、3日目に決断した訳です」。

ハンス・ウェグナー GE290 ローバックチェア。座ることにも不自由していた旦那さんの苦痛を、やわらげる座り心地だった。
IBIZA FORTEサイドテーブルと

光と風。そして気配までも

その後安部さんは“良い椅子に出会えました”とお礼の手紙をしたため、宮本会長から年賀状が届き、連絡を取り合う幾日かが過ぎたある時、こんなメッセージが届いた。

「今度商品カタログを作り替えたい。今までは企業間取引の製品がメインだったけど、今後はホームユースをメインにしたい。世界に認められる家具ブランドを目指しているRitzwellの、新しいブランドイメージを一緒に作ってもらえないだろうか。と、宮本会長から打診されたんです」。

LEEWISE (リーワイズ ソファ)に日暮れ前の木漏れ日が揺らぐ

主だった実績もなく、旦那さんの介護のこともあり、一度はその打診を断ったという安部さん。しかし安部さんの背中を押したのは、他でもない旦那さんだった。

「“やりたいんだろう”って、主人が言ってくれたんです。でも私は、主人の会社を継承しながら親の介護のこともあったし、全部は無理だと思うって言ったけど、主人は“ぜひやってほしい”って」。

 2000年当時のRitzwellは社員数は10人弱。規模も知名度もなかったが志だけは高かった。まさにドン・キホーテのように風車に立ち向かおうとしている時期だ。宮本会長は、インテリアコーディネーターとして知名度も実績もなかった安部さんを、“僕の友達”とRitzwell社員達に紹介したという。当然皆怪訝な表情をしていたそうだ。

「後年、どうして私だったんですか ?ってお尋ねしたら、宮本会長は“勘かな”なんておっしゃって(笑)。家具が好きそうだったことと、感覚のベクトルが似ていると思ってくださったみたいでした」。

光と風。そしてさっきまでそこに人がいた空気感。それをカタログの中に表現する。それが安部さんに求められたテーマだった。家具の切り抜き写真が羅列されただけの商品カタログではなく、人が使うシーンまでビジュアルに盛り込むというものだった。

安部さんが制作に関わったカタログには、次回作への改善点などのメモや付箋がたくさん

「写真には温もりや空気感が求められていました。ロケーションを探して、絵画や小物も全部自分で手配して、家具は前日からトラックで運んで、自然光と景色を取り込んで。カメラマンも雲が去っていくのをじっと待って、よし!(カシャ!)みたいな(笑)。皆さん妥協せずに取り組むロケは大変でしたけど、とにかく楽しかったです」。

手がけた第1号のカタログ

「主人には、私が関わった第1号のカタログは完成前でゲラしか見せてあげることはできなかったけれど、頑張ったんよお父ちゃんって。私はRitzwellに出会えてお手伝いもさせてもらって、ほんとに幸せだったっていうか、Ritzwellに関われたことは私の転期になったし、インテリアコーディネーターとしての私を育てていただきました。そして今も私のプライドになっています」。

ブラックのMO TABLEにナチュラルのCLAUDE(クロード アームチェア)を合わせ、モノトーンで空間を引き締める
スツールも実はRitzwell。COCO (ココ スツール・2000〜2014年)

ミラノへ行くようになって、イタリアが大好きになったという安部さん。サローネで知り合ったコーディネーター仲間もできた。さらにはイタリアワインも大好きになり、イタリアで学校にも通ってソムリエの資格も取得したという。

「サローネに出展するイタリアの家具ブランドに刺激をもらいながら、私も成長することができました。今、そういった名だたるブランドと肩を並べるように、Ritzwellがあの5番ブースで展示できているなんてね。宮本会長がミラノサローネ出展を機に海外展開への道を開き、二代目の宮本社長がクリエイティブディレクターとしてRitzwellの名を世界に広めて。その様子をずっと見てきましたので、感慨深かったですね」。

JABARA SIDEBOARD(ジャバラ サイドボード)はギャラリーも兼ねたリビングに

Ritzwellと共にブランドを作ってきた安部さんの目には、今のRitzwellはどのように見えているのだろうか。

「20数年前に宮本会長から聞いていた夢や目標が現実になっていることは本当にすごいことだと思います。想いをちゃんと言葉にして、そこに向かって突き進んでいく様は、まさにドン・キホーテ(笑)。価格競争から抜け出し独自のブランド感を確立させるって、強い覚悟がないとできないと思うんです。糸島シーサイドファクトリーを作った時も、あの場所にあのような工場らしからぬ建物を建てたりすることも、やっぱり決断力がすごいなと思います」。

2013年。Ritzwellは日本のブランドとして初めてデザインホールへ単独出展を果たした。同じ頃、ブランドとしての転換期を迎え、妥協しないものづくりへと舵を切った。上質へのこだわりが強くなり、職人の手仕事を第一に考え、あえて難しいチャレンジを続けてきた。

ためらわない線

安部さんはインテリアの仕事と並行して福岡市にカフェ・ド・アッシュというお店を開く。
そこでは自前でRitzwellの家具のイベントを開催したり、楽しみながら認知度を上げる活動も行っていた。

「福岡中のデザイナーさんやコーディネーターさんたちにインフォメーションしたら、200人くらい集まって、壁にムービングライトで演出したり、楽しかったです。そんなことも遊び感覚でやってましたね」。

福岡発の家具ブランドが世界を目指す。その情熱を誰かに届けたい。その一心から安部さんは公私共にRitzwellを応援してきた。

そして障害のある方たちの絵(アウトサイダーアート)との出会いが訪れる。

「自閉症や全くコミュニケーションが取れない方、車椅子でしか動けない方、でもみんなそれぞれに天性のものを持っている。線にためらいがないんです」。

それをきっかけにPortarte(ポルタルテ)というレンタルアートの会社を始めることになる。ポルタルテとはイタリア語でPortare(運ぶ)+Arte(絵)、アートを届けるという意味だそうだ。

ライオンの絵は柳田烈伸(やなぎたたけのぶ)さんという脳性麻痺の障害を持つ方の作品。安部さんがポルタルテを始めるきっかけをもらった作家さん

「企業や病院、お店などに、彼らの絵をレンタルして、そのレンタル料を作家さんに還元します。あまり利益にはならないけれど、作家さんにとっては何より励みになるし、喜んでくれる顔を見ると、ああやっててよかった〜って思います。17年目なんですが、私のライフワークです。絵と共に“幸せになれる気持ち”を届けたくて、車を運転できる限り続けます(笑)」。

そして、昨年2024年の秋には糸島シーサイドファクトリーで、ハンディキャップアーティストの展示会(糸島アートフェスティバル)を開催。Ritzwellとのコラボレーションは今も形を変えながら続いているのだ。

糸島シーサイドファクトリーの吹き抜けスロープがアートに満たされた空間に

「糸島アートフェスティバルのイベントでは、宮本社長や中村工場長にもすごく力になっていただきました。ライブパフォーマンスでは魅力的な作品もできましたし、キッチンカーも出店していただいて、1日だけでは勿体いないくらい充実したイベントになって、私も嬉しかったです」。

柳田烈伸さんのライブペインティングの様子。柳田さんは普段『工房まる』で主に人物画を制作している

今後安部さんが取り組みたいことのひとつに『ドッグセラピー』があるという。パートナーのアミちゃんと暮らし始めて、その素質を感じているのだという。

「アミちゃんは人見知りもしないでしょ?無邪気だけど脱力感がすごいのよね。まだ 5ヶ月でこれだから。お利口さんなのでトレーナーになってくれないかなと思っています」。

LEEWISE (リーワイズ ソファ)は、元気いっぱいな生後5ヶ月のアミちゃんもお気に入りの場所。イタリア語の「Mi ami?(私のこと好き?)」から命名

いろんな出会いから新たな道を発見し、チャレンジしていく安部さん。しかし、今でも人生の分岐点では必ず宮本会長に相談するという。

「いつも“やったらいいよ!”しか言ってもらっていません(笑)。でも無責任に背中を押す役を私が欲していることをご存じだから。今も私のお師匠さんです(笑)」。

ご自身でデザインしたという自宅には、海が好きだった旦那さんの写真が海を向いて置いてある。

「親の介護も頑張れたんで、あとは好きなように楽しい時間を、Ritzwellの家具と一緒にゆっくりと過ごします。でも、ゆっくりしすぎてボケるかも(笑)」。

「無駄なことなどひとつも無いのよね」

夕焼け色に溶けゆく玄界灘の水平線を眺めながら安部さんは呟いた。

マジックアワーは姫島の向こうに青から橙色の美しいグラデーションを描いていた。

「夕食にパスタはいかがですか?アラビアータならすぐに作れるように用意してあるんです」。
こうしてRitzwellの成長秘話と共に美味しいアラビアータをいただくことになった。

ためらいのない想いでRitzwellを支えていただき、ありがとうございました。

手際よく調理する安部さん。合わせるのはもちろんイタリアのスパークリングワインだ

『atelier h(アトリエ アッシュ)』インテリアコーディネーター
安部 ひとみ

福岡市生まれ。OLから専業主婦となり、主婦時代にインテリアコーディネーター資格を取得。2000年に他界した夫の会社の代表取締役を継承し、役目を果たした後、インテリアオフィス『atelier h』設立。2003年今泉にカフェ&ギャラリー『cafe de h(カフェドアッシュ)』をオープン(2015年クローズ)。現在インテリアコーディネーターとして働きつつ、 障害のある方々のアート支援として、レンタルアート事業を経営。2009年イタリアに留学し、イタリアワインのソムリエ資格(AIS)を取得。

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