中伊豆は天城山系の懐、2つの渓流が合わさる山郷に湯ヶ島温泉はある。多くの文豪にも愛され、川端康成はこの地に長逗留し『伊豆の踊り子』を書いた。 

『あせび野』は“二人”のための宿。名前の由来はこの地に古くから根付く『馬酔木(あせび)』からきている。春にスズランに似た可憐な花をつけるが、毒性があり漢字の表すように馬が食べると酔ったようになるという。しかし、花言葉は「献身」「純真」そして「二人で旅をしましょう」と、ロマンチックだ。
宿のコンセプトにぴったりの花言葉を持つ馬酔木。『あせび野』の玄関にも大きな馬酔木がある。
若葉の鮮やかな季節に『あせび野』を訪ね、2代目館主植田正年さんにお話を伺った。

“二人で旅をしましょう”

「ここから少し下ったところに両親が嵯峨沢館という温泉宿を創業しました。昭和3年のことです。湯治場として賑わってましたが、昭和33年の狩野川台風で全部流されてしまって、一文無しになりました。しかし私の母親はしっかり者で、4人の子供を育てながらバラックみたいな宿で頑張って再建したんです。幸い温泉は湧き続けておりましたし、馴染みのお客様が応援する気持ちで泊まりに来ていただいて、今に至ります」。


『あせび野』は二人でゆっくりくつろいで頂くことをコンセプトに2002年に開業。馬酔木は魔除けの木で、この辺りにたくさん植えられていたそうだ。

「ここにはかつてある企業の保養所がありました。馬酔木もその頃に植えられたのだと思います。保養所が撤退することになり、親しくしていたご縁から、この土地と源泉を譲り受けることになりました。嵯峨沢館は団体・グループのお客様がメインでしたから、ここはもう少し落ち着いた雰囲気でゆっくりして頂けることをテーマにしまた。“二人で旅をしましょう”というコンセプトは、馬酔木から自然に導かれた感じです。前庭に今もあるシンボルツリーは5メートル近くになっています。今年はもう花の時期は終わってしまいました。まだ少し残っているかな?」。

『あせび野』では、20代から80代まで幅広いお客様に利用され、特に女性同士や50〜60代のご夫婦の方が、ご両親を連れて再訪するケースも多い。

玄関の傍で私たちを待っていてくれた馬酔木。成長は遅いが大きいものは10メートルくらいになるそう
爽やかな木立を望む客室は18室。そのすべてに専用露天風呂がある

豊かな自然。食事。源泉浴。

窓の外に渓流のしぶきを聴き、春は馬酔木などの香り立つ花々。夏は萌える木々に、山が色づく秋も格別だという。四季を通じて心身ともに癒されることは想像に難くない。植田さんは若木色に染まるこの季節がお好きなのだという。

「自然の豊かさが何よりの宝物です。雨の日だって良いものですよ。ここは天城山系ということで年間雨量が多い地域なんです。でも雨も情緒がありますから、2泊して頂いても飽きが来ません。お部屋にいても野鳥も飛んできますし、テラスの椅子に座って何をするでもなくのんびりされるお客様も多いです」。

そして源泉掛け流しの温泉。今は保護地帯なので新たに源泉を掘ることは出来ないそうだが、あせび野には5本の源泉があり、温度は大体32〜64度くらいとちょっと高め。

「おもしろいのが、雨が降ると源泉の温度が上がります。だから夏はとても熱くなり、冬はあまり雨が降らないので温度が下がってしまいます。地球のご機嫌をうかがいながら、温度調節をしています。川沿いの露天風呂は大きいものですから、温泉がたくさんの量がいるんですよ」。

川沿いの大浴場“世古の湯”は渓流に溶け合う風景の中にある。午前1時に男湯・女湯が入れ替わる。それぞれ20mと川のように長い。
この他にも貸切露天風呂が4つある

付かず離れずの精神

「客室は18室。全室露天風呂付きです。食事は個室のダイニングルームでお召し上がるスタイルです。お客様本位で快適なステイをしていただける様に、色々良く考えてサービスをしています。食事も宿の楽しみのひとつですよね。うちの調理長は非常に勉強熱心で、中伊豆の季節感を存分に取り入れた月替わりの創作会席料理でお出ししています。『あせび野』はこじんまりした宿なので、効率化とか生産性とかに行きすぎるとおもてなしにブレが生じます。もちろん数字は大事なんですけど、この仕事はゆっくり、のんびり、楽しみながらやるべき仕事だと思います。お客様に接する時は控えめに一歩下がって。事に対してはスピーディーにお応えする。お客様が何を期待して来られているのか、それを常に考えながら応えていく。笑顔を添えて。付かず離れずの精神で」。

脇役としての宿

「石井建築事務所の鈴木先生は旅館設計のプロフェッショナルです。調理場などを見ると良くわかります。使い勝手だとか床の洗浄だとか、そういう機能面のことを良くご存知なので。嵯峨沢館からのお付き合いがあり、『あせび野』の設計もお願いしました。外観は古民家風ですが、中は地元の杉材と土壁を使いながらも出来るだけモダンな雰囲気を目指しました。私どもの希望以上に良い宿に仕上がったと思います。おかげさまでお客様にも大変好評です。もう20年以上経っていますが今も古さを感じません」。

渓流を抱く谷の斜面に3階層で建つ『あせび野』は、熱海の石井建築事務所による設計。旅館建築を知り尽くした建築士は、自然豊かな環境と溶け合うような宿をイメージした。

都会のホテルでは味わえない、天気や四季の移り変わり。この場所の良さを最大限に活かした建物。そして客室では“目線”を大切に設計されているという。

「和洋室でも、和室が一段高くなっているんですよ。そうするとベッドに座った人と同じ高さで景色が見れるんです。どこに居ても自然に親しめるような客室に、とお願いしました。主役はあくまで自然の景色。四季の移り変わりを楽しむために、建物はあくまで脇役に徹して居心地の良い宿を作って頂きました」。

出会いの場所にふさわしく

1泊でなく2泊して頂ける宿にしたい。都会の喧騒から離れて、お客様には心ゆくまでゆっくりして頂きたい。民藝調でなくモダンな和洋式を内装に取り入れ、自然との調和した『あせび野』は2002年に完成した。しかしオープン当時にはまだ、他の家具をロビーに設置していたという。

RIVAGEのファブリックはロビーの空間に合わせて建築士によるセレクト
GRAND LEEWISE(グランドリーワイズ)は、10年以上お客様と接してきた。IBIZAFORT(イビサフォルテ)リビングテーブルとともに、色褪せた風合いがその時間を物語る

「モダンな和洋式の『あせび野』のイメージには、民藝調の家具よりも洗練された和モダンな家具の方が合うのではないか、と思い始めました。何と言ってもここ(ロビー)が『あせび野』の、私たちのサービスを提供する一番最初の場所、お客様と私どもが最初に出会う場所です。お客様はまずここへお入りになって、椅子にお掛けになり、外の風景を眺める。その時に最高の“ゆったり感” を感じて頂けたら、その後の満足度が全然違ってきます。“良い宿に来たな、自分で選んだ宿は間違ってなかったな”という感覚をお持ちになられるはずなんです。そしてこれからどんなサービスがあるんだろうと、期待して頂きながら、一日楽しくお過ごしになられる」。

それで植田さんは建築家の鈴木先生に相談し、リッツウェルの家具を提案してもらう。それが『あせび野』10年目の2012年だった。

「しっくりきましたね。ファブリックも空間に合わせてコーディネートして頂きましたし、このソファ(グランドリーワイズ)も、和のテイストを持っていますのですんなり馴染みました。建物を設計したご本人のコーディネートですから、統一感があります。ロビーの家具は私たちのサービスの中で大きなウエイトを占めています。リッツウェルのソファや椅子は本当に、座り心地がとっても良いんですよ。リッツウェルの家具を導入したことにより、この空間の品位が増したと感じています。ここで満足が得られればお客様もそうですが、私たちも楽しくお客様と接することが出来るんですよ」。

確かにこれだけの景色に対峙する空間には、“くつろぎ感”のある家具が最適。Ritzwellを推して下さった鈴木先生に感謝。そして植田さんには“空間の品位が増した”という言葉を頂けて光栄だ。

「ゆったり感がないと駄目ですね。それまでの椅子にはそういう要素がなかったものですから、やっぱり替えてから、この違いは大きいものだなって実感しています。お客様はここでゆっくり過ごそうと思っていらっしゃるわけですから、そう言う意味でリッツウェルの家具は『あせび野』の重要なスタッフのひとり、影のコンシェルジュと言えるかも知れませんね」。

木漏れ陽の中のコンシェルジュ。そんな素敵な役目を頂いて家具たちもきっと光栄だろう。夏を迎えつつある渓谷の風に、家具たちがちょっと微笑み合っているように写った。

谷川の湯 あせび野

〒410-3206
静岡県伊豆市湯ヶ島1931-1
tel: 0558-85-1926

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